Senjojiki
“Childhood story”

Q. どんな子どもだった?

C.

穏やかでよく寝る子。お隣で工事してても昼寝を続ける強者でした。そしてよく食べる。9ヶ月の頃11kgあったらしい…当時の保育士さんに感謝!

ミニカーや働く車系のおもちゃが好きで、よく遊んでいました。その頃の夢は「ショベルカー」。

小学生の頃は一輪車にハマり、ずーっと練習。できるようになると一輪車で最寄りのコンビニに行っていました。変ですね。

K.

好奇心旺盛な子どもだったと思います。小学校の1年生くらいの頃、放課後に帰って来ないのを心配して親が通学路を探していると、自販機のジュースを交換しているおじさんの作業をずっと眺めてたらしいです。自販機の中身が気になっていたんでしょうか。

空手・囲碁・書道・塾・進研ゼミ・ホームステイ…あれやりたいこれやりたいと小忙しい子どもでした。

とりあえずやってみてから考える子どもだったと思います。何かとわがままを言っていたのに答えてくれた両親に感謝。

Q. 将来の夢の遍歴を教えて

C.

おそらく一番はじめは”アンパンマン”

その次は”ショベルカー”。車の中でも特に、工事車両と外車が好きでした。あまりプリンセスとかには憧れなかったんじゃないかな。セーラームーンやおジャ魔女どれみは見てたけど。

小学生の頃は王道な感じのお店屋さんに憧れていました。お花屋さん、パン屋さん、ケーキ屋さん。今も見かけたら立ち寄ってしまう結構好きなお店たち。

多分女子あるあるだけど、女の子と洋服の絵を描くのが好きで、ファッションデザイナーになりたい時期もありました(恥ずかしい)。

高校の進路選択の時は、保育の道か、調理の道か悩んでいました。元々こどもと接することが大好き。料理も好き。だけど軽量が苦手なのでやめた気がする…保育が消去法だった訳ではないですよ。

天職だと思っています。腰痛いけど。肩凝るけど。日焼けするけど。

K.

3歳くらい?”ウルトラマンティガ”になれると思ってました。だから今でも一番好きなジャニーズはV6。

小学生の時は漠然と普通よりもカッコいい警察というイメージで”FBI”って言ってました。でも日本にはなかった。

その後はこれもカッコいいと思って”パイロット”。勢いで操縦科の高校に進学したけど、途中でなぜかピンと来なくなって”数学の先生”に鞍替え。でも担任につぶしがきかないと止められ、ふわっと大学に。

軽い気持ちで触れた建築が思ったより楽しくて、勢いで大学院まで行ってしまいました。その頃は”建築家”になりたいと思っていました。カッコいいと思って。

今は”建築も作れる人”になりたいです。建築も好きだけど、色々やりたがりなので、引き出しが多い人がカッコいいかなと思って。

Q. 小さい頃から変わっていない事はある?

C.

穏やかで寝ることが好きなところは変わっていないです。

情に熱く涙もろいところも昔から。動物系の番組はもうだめ。大きくなってからもいわゆる泣かせるテレビや映画は苦手。

車が好きなところも変わっていません。免許は持ってないし、運転は怖いからしたくないけど。

食べることも昔から大好き!美味しいご飯を(大量に)作ってくれた母のおかげです。

K.

食べ物も人も、好き嫌いしない性格なのは昔からな気がします。

人見知りはしないし人好きだけど、社交的でもないから友達は少なめ。18歳の頃なぜか免許センター行きのバスで仲良くなった人が居て、1日中共に行動したのに名前も聞きかずに別れたことがあります。

興味の有無がはっきりしていて、こだわりと投げやりの落差が大きいのも小さい頃から。だから成績も教科ごとの差が激しくて満遍なく頑張るのが苦手。算数は100点なのに社会と英語は30点みたいな子どもでした。

その点大学は好きな勉強だけできるから割と頑張ってたと思います。必修でも興味の薄い授業はいくつも単位落としたけれど。

大学院は天国でした、研究だけやってられるから。仕事も楽しいです、建築が好きだから。

Q. 学生時代の思い出を。

C.

高校3年生のとき。毎日京王線で通学していた私にとって「チャリ通」は憧れで、受験を機に部活を引退し朝練がなくなった時期に始めてみました。

約15kmの距離(しかも最後超坂)を友だちと自転車で走り、多摩川や浅川の河川敷で道草したのは最高に楽しかったです。そのせいで遅刻したのも今となっては思い出。

青春時代、好きだった音楽はORANGE RANGE,YUI,福山雅治。

部活は中学と大学が硬式テニス。高校だけ吹奏楽部に入り、トランペットを吹いていました。

K.

毎朝ベルで起床、急いで着替えてダッシュで整列、大声で点呼、食事も風呂も団体行動、行進で通学して、先生や先輩への挨拶は右手の敬礼。そんな高校生活も全部青春。

それが活きてるかはまだわからないけれど、確かに今の自分を作っていると思います。とにかく厳しい学校のルールを破らずに、如何にかい潜るかを考えていた生徒でした。

大学時代でよく覚えている遊びは、男三人自転車旅。ストイックに電子機器禁止を課していたのでコンパスでスタート。途中台風にも逢いながら、4日かけてなんとか名古屋まで行きました。

エアコンなし、TVは映らない、玄関のドアノブが外れる、品川とは思えないアパートで大学の先輩とルームシェアしていたことも今思えば青春っぽかったですね。男2人でお互い彼女もいたのになぜか寝室は一つで布団とベッドを並べて寝てました。

Q. 大切な昔の記憶を教えて

C.

長野県の原村にある「小さな絵本美術館」。昔から家族で年に一度は行って、絵本の原画や自然溢れる空間に癒されていました。

中でも好きだった場所は美術館の中にある読書コーナー。大きな窓から、やわらかな日の光が差し込む中、大きなソファーで好きな絵本を読む。

時間を忘れて何冊も、何冊も…心地よくて思わず眠ってしまうことも(笑)その時間が大好きでした。

最近は行けていないけれど、いつかまた行きたいなぁ…恭輔の運転で。

K.

地元の須磨水族館でずーっと眺めていた大きな水槽が今も焼きついています。何歳の記憶なのかは思い出せないけれど、静かな部屋なのに目の前で大量の魚が泳いでいるのが物凄い壮大で神聖な空間だと思ってました。

大学生の頃、東京カテドラルに入った時になぜか昔見た水槽の空間の印象と繋がって不思議な感覚になったのを覚えています。

数年前10数年ぶりに行った時、記憶の”スマスイ”よりずっとレトロで小さな水族館だったのでまた驚き。あれよりももっと大きな水族館も壮大な空間も見てきているのに、同じ感覚にはなれません。